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セーラームーンS 海野ぐりお×カオリナイト(前編)

作者:6‐659氏
備考1:海野ぐりお×カオリナイト
備考2:アニメ「セーラームーンS」二次創作。「補足として、アニメでは大阪なるちゃんという相手がいる海野くんですが、このお話でのなるちゃんには悪の女ならぬ悪の男、ネフライトさんが無事で、彼と幸せになっているという感じです。」(作者氏)



何処とも知れない場所にある闇に包まれた空間。
その空間には照明器具などが見当たらず、明かりを発する物が無いというのに、何故か空間全体がぼんやりと見えていた。
空間には全体的に霧のような霞が立ちこめ、床の上にはフラスコやビーカーに、
何やら紫色の不気味な液体が入っている試験管などを整然と並べられた机やテーブルが、所狭しと置かれている。
明らかに何かの実験室と思われるその空間の一番奥にある実験台の前には、影になって顔が見えない一人の男が立っていた。
男は丸い大きなレンズの眼鏡を掛け、口を三日月型にした不気味な薄ら笑いを浮かべながら、
手に持った赤紫の液体が入っている試験管を自分の目の前で回して、中身を混ぜていた。

「教授…」

その男以外誰も居ない筈の空間に、突如聞こえる女の声。
普通の人間ならば思わず「誰だ!」と叫んでしまいそうな状況なのだが、男は変わらず試験管を回し続けている。
教授と呼ばれた男には、その声の主が誰であるのか分かっている上、彼にとってこのような事は日常の一風景でしかないのだ。

「カオリナイトくんか」
「はい」

男――教授が声の主の名前を呼ぶと、彼の後ろにある何もない空間に一人の女が現れた。
姿を現した女は腰の下まで届く紅い色をした長い髪を、自分の髪の一房で編んだ髪の束をカチューシャ代わりに、少しアップにして纏めていた。
服装は研究所などに居る科学者が着ているような白衣だ。切れ長のつり目に薄紫の瞳。その瞳の中に見える金色の虹彩。
厚く形の良い唇には真紅の口紅が塗られ、耳には金色のイヤリングを付けていた。
男なら誰しもが見惚れてしまうような、その美女――カオリナイトは教授の助手を務めている女だった。
そんな美しい女を前に、表情一つ変える事がない教授という男は、やはりどこか普通ではない感性を持ってのだろう。
事実彼は普通の男とはかけ離れた精神を持ち、想像も出来ないような立場に居る男である。
彼は後ろに立つカオリナイトに振り返る事無く話し掛けた。

「カオリナイトくん、ダイモーンの卵を一体いくつ無駄にすれば、タリスマンを回収出来るのかね?」

教授の言うダイモーンとは、純粋な心を持つ人間を選び出してその心の結晶を奪い取る怪物の事である。そのダイモーンの卵を作り出したのが教授だ。
そしてタリスマンとは選ばれた人間の純粋な、ピュアな心の結晶の事。
このタリスマンは三つ存在していて、その三つが揃うとき、この世を思いのままに支配できるという“聖杯”が現れるのだ。
その聖杯を手に入れ、世界を意のままにしようとしているのが、教授やカオリナイトが属する組織“デスバスターズ”
教授はそのデスバスターズの大幹部であり、カオリナイトは教授を補佐する助手であった。
彼らデスバスターズはダイモーンの卵が完成すると同時に行動を開始して、ターゲットに選んだ人間からピュアな心の結晶を抜き取り、
タリスマンを探していたのだが、今のところ一向に見つかる気配がないのだ。
その間、セーラー戦士という邪魔者が現れてカオリナイトの行動が悉く妨害され、数多くのダイモーンの卵が無駄になり続けていた。
ダイモーンは作った先から倒され、その上タリスマンは手に入らない。これでは教授の言うようにダイモーンの卵をいくら作っても切りがない。
それはそのまま、ターゲットを選び現場で行動しているカオリナイトの責任でもあった。



「申し訳ありません……。ですが、今度こそ絶対です」

カオリナイトは汚名を返上するため、既に次のターゲットを選んでいた。

「ほう… それは本当か?」
「今までは夢を追っていたり、何かに必死になっている者をターゲットに選んでおりましたが、今度のターゲットは平凡な、悪く言えば何も取り柄がない人間です」
「平凡…?」

教授は彼女の言葉を聞いて試験管を回していた手を止め、訝しげに聞き返す。
ピュアな心の結晶を探しているのに、何故平凡な人間を選ぶのか?と。
彼が危惧したように、聖杯の鍵となるタリスマンを宿している程の人間なら、余程純粋でなければならないだろう。
平凡とはそんな人間からは正反対である。

「はい。ですが平凡であるからこそピュアであるとも言えます」

そんな教授に対し、カオリナイトはいつもの冷静さを微塵も揺るがす事無く返答する。
平凡とは、特定の何かに染まっていない――言い換えれば純粋なままであるとも言えるのでは?と。
彼女は平凡な人間の心こそが真のピュアな心であり、必ずやタリスマンであると断言する。
実際に今まで何かに秀でた人間や、何かに打ち込む人間ばかりを狙っていて成果が無かったのだ。
ならば平凡な人間の心にこそ、タリスマンが隠れていたとしてもおかしくないだろうとの持論を展開した。

「ふむ、成る程……そういう見方も出来るか。では、絶対だと断言する君の言葉に掛けてみるとしよう……」

教授はカオリナイトの言葉を聞き入れると、手にした試験管の中身を目の前にあるビーカーに流し込んだ。
流し込まれた赤紫の液体には丸いアメーバのような物体が入っており、ビーカーの中で化学反応を起こして瞬く間に巨大化した。
次いで、巨大化した物体がビーカーを割って外に飛び出した時には、既にアメーバのような姿ではなく、
六つの硬い殻に包まれた物体へと変化していた。これこそがダイモーンの卵だ。

「さあ、受け取りたまえ。最高のダイモーンだ」

教授の手の中に浮かぶダイモーンが、カオリナイトの手に飛び込む。

「君だけが頼りだよ、カオリナイトくん」
「ありがとうございます」





ダイモーンの卵を受け取ったカオリナイトは、早速タリスマンを手に入れるべく十番商店街の交差点に立っていた。
今の彼女の服装は研究室での白衣姿ではなく、胸元がお腹の上辺りまで深くV字カットされた、髪と同じ紅い色の服装だ。
背中もほぼ全体が露出しているこの服は、唯でさえ色っぽい彼女を更に引き立てている。
彼女は現場で行動しているときはいつもこの普段着としている服を着ていた。
こんな露出の多い大胆な服を着た美女が立っていれば、普通なら思わず立ち止まって振り返えられたりと注目の的になるだろう。
しかし、不思議な事に誰一人彼女に注意を向ける者は居ない。同時にそれは、彼女が普通とは違う力を持つ人間であるというのを示していた。

「フフ、来たわね」

カオリナイトは横断歩道の向こう側で信号が変わるのを待っている少年の姿を見つけて口元に笑みを浮かべた。
そのぐりぐり眼鏡を掛けて十番中学校の制服に身を包んだ、如何にも平凡と思われる彼こそ、今回彼女がターゲットに選んだ少年――海野ぐりおだ。
人畜無害を地でいくような彼の姿を、その薄紫の瞳に捕らえながら彼女は事を始めようとしていた。

「さて、今度こそタリスマンを手に入れてみせるわ」



海野は学校の帰りに商店街に寄り道をしていた。基本的に真面目な彼は、普段なら真っ直ぐ家に帰っている所だが、
なぜ今日に限って寄り道しているかというと、返ってきたテストの点数が思ったよりも悪かったからだ。
何せ普段から「テストなんてゲームみたいなものですよ」というくらい勉強が出来る彼なのだから、その落ち込みようは相当なものである。
立っている彼の周りだけ異様なくらい空気が重くなっていて、誰も近寄る事が出来ないくらいだ。
それで気分転換のために寄り道をしていたのだが、結局気分が晴れる事は無く「もう返ろうと」と、帰宅の途に付いた所だった。

「はぁ、どうしてあんなに簡単なテストで……」

考えれば考える程落ち込んでいく自分の気持ちに、海野は下を向くのを止めて顔を上げた。
(下ばかり見てるから余計に気が滅入るんだ!)と考え、前を向いた彼の目に、横断歩道の向かい側に立つ女性の姿が映る。
(綺麗な人だなぁ)彼はその女性――カオリナイトに自身が狙われているとは露知らず、彼女の事をぼ~っと見ていた。
商店街で目的もなく店を回るよりも、可愛い女の子や綺麗な女の人を見ていた方が余程気が晴れるだろうと。
そんなふうに信号が変わるまでの僅かな間、彼女の姿を見ていた海野は、反対車線から凄い勢いで走ってくるトラックに気が付いた。
居眠り運転か、それとも飲酒運転かは分からない物の、明らかに暴走しているトラックは横断歩道の向かい側を目指している。
このまま何もしなければ、あの女性はが跳ねられてしまうだろう。周りに人はいるのに何故か誰も気付かない。女性の姿が見えていないかのように。
トラックの進路に気付いた海野は「自分が助けるしかない!」と反射的に道路に飛び出し、彼が見ていたカオリナイトの所に向かって走り出した。

「危ないッッ」
「えっ…?」

そして間一髪の所でカオリナイトに飛び付くことが出来た海野が、そのまま彼女をかばうように覆い被さった直後、
飛び付いた勢いのまま二メートル程飛んだ二人の直ぐ脇を暴走トラックが通り過ぎて、前のビルに突っ込んだ。



クラクションと悲鳴が聞こえる中、カオリナイトが自分に飛び付いたターゲットの少年を見ると、彼は腕から血を流して気を失っていた。

「な…に…? 私を…助けた…?」

海野の咄嗟の行動にカオリナイトは驚愕していた。無論、海野が自分を助けた事に。
彼女は自分の方に向かってくるトラックには気が付いていたし、その程度除ければ済むだけの事であって別に大した事ではなかったのだ。
だが海野は別だ。彼は何の力も持たない唯の人でしかない。彼女のようにテレポートが出来るわけでも、宙に浮かべる訳でもない。
当然、彼にとって暴走したトラックは命を奪う危険な物で、その前に自分の身体を投げ出すなど自殺行為だ。
その自殺行為を平然と行ったのだ。文字通り命を懸けてカオリナイトを助けるために……。
尤も彼にはカオリナイトにそんな力が有る事は分からないので、これは人として当たり前の行為でしかない訳だが、
よりによって自分がターゲットにした人間が、逆に自分を助けようとする行動を起こした――というのが彼女の心を大きく揺らしたのだ。

「どうして…?」

彼女は手に持っていたダイモーンの卵をその場に落とした事にも気付かない。そのくらい自分を助けた彼の行動は理解不能な事だったのだ。
独白するように呟く彼女だったが、気を失っている彼が答えられる訳がなく、
余りに騒ぎが大きくなり人が集まって来たため、彼女は作戦を中止にしてその場からテレポートして消えた。
後に残されたのは腕から血を流して倒れている海野と、ビルに突っ込んで大破したトラック、それにカオリナイトが落としたダイモーンの卵だけだ。
その内ダイモーンの卵に付いては、海野がターゲットにされている事を察知していたセーラーウラヌスとセーラーネプチューンの手で破壊された。
彼女達もデスバスターズとは別にタリスマンを探しているため、カオリナイトを張っていたのだ。
尤も、今回はカオリナイトが海野のピュアな心を抜き取る前に撤退したので無駄足に終わっていたが。

「今回は無駄足だったわね」
「なに、ターゲットはあいつなんだから、また直ぐ出て来るさ」
「彼、放って置くの?」
「僕らには関係ない、行くぞネプチューン」

彼女らにとって重要なのはタリスマンを手に入れる事だけであり、それが達せられる見込みが無い以上、誰がどうなろうと知った事ではない。
ウラヌスとネプチューンは出直しだとだけ言うと、倒れている海野を助ける事なくその場を離れた。
海野はその後、駆け付けた救急車に運ばれて病院に搬送された。あれだけの大事故にも関わらず全治三週間のケガで済んだのは幸いと言えるだろう。
ただ、彼はあの場から居なくなっていたカオリナイトの事が気になって眠れない日が続き、ケガよりも寝不足に悩まされるのだった……。



「カオリナイトくん、今回はどうだったのかね?」
「は、はい……その、ターゲットの少年はタリスマンではありませんでした……」
「……そうか、ではまた一つダイモーンの卵が無駄になってしまった訳だね?」
「申し訳ありません……」

デスバスターズのアジトである研究所らしき空間に戻ったカオリナイトは、霧の立ちこめる中佇む教授に進歩状況を話していた。
勿論、彼女の報告は嘘である。ダイモーンを使ってもなければ、海野少年からピュアな心を抜き取ってもいない。
なぜ嘘を付いてしまったのかは自分でも分からない。唯、命懸けで自分を助けたターゲットの少年の事を考えると、本当の事を言えなかったのだ。
本当の事を言えば再度彼を狙う事になる。仮にその時自分がターゲットを変えたり断ったりすれば、教授に不審を抱かれてしまうだろう。
それに上手く断れたとしても、別の誰かがあの少年を狙う事になる。
(ピュアな心を奪われたショックで、あの少年は死ぬかも知れない)
その場面を想像したカオリナイトは、とても嫌な気分になった。

「あの、教授……少し気分が優れませんので、今日はこれで上がらせて頂いても宜しいでしょうか?」

これ以上此所に留まっていると、自分の心を教授に見透かされそうで怖くなった彼女は、その場を去る口実を作ろうと、
有りもしない体調不良を訴える。いや、有るには有ったが、それは体調不良などではなく、彼女の心に生まれた理解不能な感情だ。
自分を助けたあの眼鏡の少年の事を思い出すと、鼓動が早くなり、息苦しくなってしまう。
あの少年が狙われるかも知れない事を考えると、不安に押し潰されそうになる。
自分でもよく分からない感情を持ってしまった彼女は、心の動揺を表に出さないよう注意しながら、努めて平静を装った。

「それはいかんな。では、今日はもう休みたまえ」
「ありがとうございます……それでは失礼させて頂きます」

教授の了承を得たカオリナイトは、自分の心に沸いた感情に悩みながらも、挨拶を済ませると足早にその場を後にした……。




カオリナイトが去った後、教授はいつものように一人でダイモーンの卵の製作に取りかかっていた。そこへ、一人の少女が顔を出す。
少女は頭の右側で一つに纏めたサイドポニーの青色の長い髪を、更に三つ編みに括り、
右が普通の丸いレンズで左が斜め上に向かって尖った三角形のレンズという、奇抜な形の眼鏡を掛けていた。
服装は教授やカオリナイトの研究室での服と同じ白衣だ。

「失礼します教授」
「シプリンくんか……。どうしたのだね?」

そのシプリンという少女は、教授の生徒であり部下でもあるデスバスターズの5人の魔女――ウィッチーズ5の一人であった。
因みにカオリナイトにとっても部下に当たるのだが、少なくともこのシプリンと、同じくウィッチーズ5の一人であるビリュイに関しては、
彼女の事など上司でも何でもないと考え、常に見下すような態度を取っている。

「失礼かと思いましたが、先ほどのカオリナイト様とのお話に付いて、一つご報告が」
「ほう?」
「まずはこれをご覧ください」

シプリンは持参した写真を教授に見せた。その写真にはカオリナイトがターゲットに選んだ少年に飛び付かれた瞬間が映っている。
二枚目は彼女の足下に転がるダイモーンの卵の写真。三枚目はその卵をセーラー戦士が破壊する瞬間。

「これは……どういう事なのだね?」
「はい。実はカオリナイト様の姿を偶然にもお見掛けしまして、そこで起こった出来事を写真に撮っていたのです」

勿論嘘だ。シプリンは前から気に入らないカオリナイトをあわよくば消そうと画策していた。最低でも追い落とそうと考えていたのだ。
そしてカオリナイトの行動を監視して粗を探していたところ、使える場面に出会し写真に撮っていたのである。

「この場面から察するに、偶然の事故に巻き込まれたカオリナイト様はターゲットに助けられた上、あろう事か貴重なダイモーンの卵を落としてしまい、セーラー戦士に破壊されてしまったものと思われます」
「ふむ…、確かに君の言うような感じにも見えるね。それが事実だとしてどうしようというのだね?」
「失敗ばかり繰り返し、あまつさえ教授に嘘の報告までする者が、誉れ高きデスバスターズに必要なのかと思うのですが……」
「……」

シプリンは教授の反応に手応えを感じて、畳み掛けるように言葉を続けた。

「それと、次なるターゲットの事について……正確には今回のターゲットと合せて二人目ですが」
「次なるターゲット?」
「はい。私が考えましたターゲットは――失敗に次ぐ失敗を経ても尚、成果の無い作戦を一心不乱に繰り返すという、ピュアな心の持ち主です」

シプリンの選んだターゲット。それが誰なのかは教授にも直ぐ分かった。
話の流れを聞いていれば、事情を知らない者でも気付きそうな程にあからさまだ。
だが、教授はシプリンの話というか提案に付いて、何も言わずに聞き続けている。

「いつまでも成果を出せないのなら、別の形で成果を出して貰う……そういうことだね?」
「はい……それに、どのような形であれデスバスターズのために役立つのが、我々のお仕事であると思いますわ」
「そうか……彼女は中々に優秀だったのだが……」

教授は話が終わると自分の後ろに立つシプリンを振り返り、彼女の肩に手を置いて言った。

“君だけが頼りだよ・・・・・・シプリンくん・・・”

その言葉を聞いたシプリンは心の中でカオリナイトを嘲笑う。
これで自分の出世にとって邪魔なあのババアを蹴落とすことが出来る――と。

「お任せください。このシプリン、必ずや教授のご期待に添えて見せますわ」



数日後の夜。カオリナイトはあの少年――海野ぐりおの部屋に来ていた。
家の中には他に誰も居ないのか? それとも寝静まっているのか? 随分静かだ。
彼女はその静けさの中聞こえる海野の寝息に、ふとベッドに横たわる彼を見た。
布団を放り出し、大口を開けて鼾をかくだらしない姿を。

「……」

そのだらしない姿を見て、普通呆れる事は有っても素敵だとは思わないだろう。
現に彼女もそれと同じで、海野のだらしない姿には呆れさせられている。
だが、それとは逆に、彼女の胸の鼓動は早くなっていく。彼の寝姿を見ているだけで心が温かくなるのだ。
(何故……何故私の胸はこんなに高鳴っているというの?)
理解できない何かにここ数日悩まされていた彼女は、その原因と思われる海野の様子を見に来ていたのだ。
彼はあの後どうなったのか? 自分をかばって負ったケガは? 命に別状は無かったのか?
心を支配するこの温かい物は何か? 彼の事を考えてしまうのは何故?
その答えを見つけるため、彼女は海野が寝ているベッドに近付くと、右手を伸ばして彼の頬に触れた。

「ん…」
「っ!!」

カオリナイトの手が海野の頬に触れた瞬間、彼女の手の温もりを感じた彼は僅かに反応を示した。
何もないところにいきなり人肌の温もりを感じれば、余程深い眠りに付いていない限りは何らかの反応を示すもの。
彼の場合、眠りについてそれほど時間が経っていないというのもあって、手で触れただけで目覚めようとしていた。
しかし、一度触れてしまった手を離す事に躊躇いを覚えた彼女は、起きるかも知れないというリスクを無視して彼の頬を撫でさする。
彼の丸い頬は赤ん坊のようにつるつるしていて、触っているだけで心が温かくなっていく。
(不思議ね……ただ頬を撫でているだけだというのに……)

「う…んん……」

当然、そうやって頬を撫でさすっていれば、覚醒しかけている海野は目を覚ますだろう。
魘されるというより、甘えるような声を出す彼の瞼が震えている。
間もなく目を覚ますと判断したカオリナイトは、海野の身体に手を回して彼を抱き寄せていた。
何故そんな事をしたのかは彼女自身も分からない。唯こうしたくなった……それだけだ。
その行為が決め手となって、目覚め掛けていた彼の目が見開かれる。

「んんっ……、…………………あ……あれ…?」
「漸くお目覚めかしら?」
「あ、貴女は……」



目を覚ました海野は自分の身体に感じる温もりと甘い匂い。それらをもたらしている紅色の長い髪と雪のような白い肌、
それに薄紫色の瞳が印象的な、目の覚めるような美女に抱き付かれている事に気付き、慌てふためいた。

「え…ええっ!? な、ななな、なんですか!? なんで僕の部屋に貴女が居るんですか!??」

それが数日前、十番商店街の交差点で暴走トラックに跳ねられそうになっていた女性だと分かった彼は、
あの場から居なくなっていた彼女が無事であった事に安堵しつつも、自分の部屋に居る事に驚き、大声を上げていた。
その大きな声に、ここで誰かに気付かれて余計な邪魔が入るのを良しとしないカオリナイトは、海野の耳元に口を寄せて注意した。

「静かになさい」

彼はカオリナイトの凍えるような静かな声に息を飲み込む。『言うとおりにしないと酷い目に遭わす』との無言の圧力を感じたからだ。
伊達に妖魔などの類に襲われてきた訳じゃない。幾度か危機的状況を経験した事のある彼は、ある程度なら察する事が出来るのだ。
とはいっても、所詮凡人に毛が生えた程度の物でしかないが……。
それに顔を近付けられた事で彼女の髪が頬に触れ、髪から漂う何とも言えない甘い香りに心を奪われたというのもあった。

「あ、あの…、」
「なに…?」
「い、いえ…(おおお、おっぱいがっ、おっぱいが当たっているんですよっ、)」

カオリナイトが海野の身体に真正面から抱き付いているため、彼女の大きくて豊かな胸の膨らみが、彼の胸に押し付けられる格好になっているのだ。
それも彼女の服の胸元が、お腹の上辺りまでV字カットになっているという大胆なデザインをしているため、少し視線を下げるだけで胸が見えてしまうというオマケ付き。
それでも先ほど感じた威圧も有って、彼はその言葉をすんでの所で飲み込んだ。

「そ、そそそ、そのですね…っ、だ、大丈夫……でしたか?」
「……」
「あ、貴女が、居なくなっていたものですから…、その…、無事だったか気になっておりましてですね……、」

(まただ…、またこの少年は私を心配している……目の前に無事で居るにも関わらず……)
カオリナイトの疑問は尽きない。再び心配された事で余計に大きくなるばかりだ。
それと比例するかのように、彼女の胸の鼓動も更に早くなっていく。

「見ての通り大丈夫よ……それよりも貴方の方こそ大丈夫なのかしら? 私を庇ってケガをしていたと思うのだけれど?」
「は、ははっ、大丈夫ですよこんなの! 大した事ありません!」
「そう……」

大した事はない。それを聞いて心から安堵する自分に気付いたカオリナイト。
(やはり私が、この少年の身を案じていたように感じたのは、気のせいではないようね……)

「どうして助けたの……?」
「え?! いっ、いやぁ、どうしてと言われましてもですねっ、」
「貴方は自分が死ぬ可能性を考えなかったのかしら? あの状況で私を助けるのは自殺行為であったとも言えなくて?」

そう、どう考えてもそこに行き着くのだ。自分の命を赤の他人であるカオリナイトのために投げ出した行為。
それが彼女には理解できない。だからこそ彼が何を考えそうしたのかが知りたいのだ。
死んでも良いとさえ言えるような不可解な行動をとってまで、自分を助けた理由を……。



「あ、あれは…ですね、その、何と言いましょうか…、」

海野は相も変わらず真っ赤な顔をして、歯切れの悪い言葉を続けながら、どう言えばいいのかを考えている。
カオリナイトはただ待つだけだ。彼が示してくれるだろう答えを。

「その、ですね…。自分でも分からない訳ですが、貴女が……ええっとお名前お伺いしても宜しいでしょうか…?」
「カオリナイト……」
「カオリナイトさんですか、ぼぼ、僕は海野です、海野ぐりおです、」
「海野ぐりお…ね、」

彼の名前は事前調査で知ってはいたが、敢えて知らないふりをした彼女は、反芻するように彼の名を呟いた。
彼の名を言葉に出して呟いた事で、彼女の心の中で燻っている感情と、彼という存在が更に大きくなっていく。

「ええっと……、はい、どうしてかと言うとですね……カオリナイトさんに突っ込むトラックを見て、身体が勝手に動いていたんですよ、」
「身体が勝手に?」
「はい、カオリナイトさんを助けないとって思ったら、もう身体ごと飛び込んでいたんです」
「……」





丁度そのとき、部屋の中で話し続ける二人を、窓の外から一つの視線が射貫いていた。

「フフフ、カオリナイト様を見張っていて正解だったわ。まさか今回のターゲットと一緒だなんて……」

その視線の持ち主――ウィッチーズ5のシプリンは、カオリナイトと海野、二人のピュアな心を奪おうと、
赤い液体の入ったガラスケースが銃身となっているライフルを構え、スコープ越しに中の様子を窺いながらほくそ笑む。
彼女の持つライフル形の銃は、彼女と同じウィッチーズ5の先輩であるユージアルが開発した物で、ダイモーンが居なくてもピュアな心を抜き取る事が出来る専用の捕獲銃である。

「まず初めに厄介なカオリナイト様から片付ける事にしましょうか」

シプリンは純粋な戦闘力では自分よりも強いカオリナイトから先にピュアな心を奪ってしまおうと考え、銃口を部屋の中に向けた。
都合良く背を向けているので此方には気付かない。

「フフフ、それではカオリナイト様。貴女のピュアな心はこの私……ウィッチーズ5のシプリンが貰い受けます……捕獲ッッ!!」

彼女が構えた銃の引き金が引かれると、星形の銃口から黒い光線が飛び出し、カオリナイトが居る海野の部屋に向かって突き進んだ……。





「何と言えば良いんでしょうか、こう、動かなければ後悔すると言いましょうか……、」

未だ上手く説明できないで居た海野は、カオリナイトの胸元を見ないようにして視線を彷徨わせながら、しどろもどろに喋っていた。
だが、そうやって視線を彷徨わせていたから気付けたのだろう。窓の外で自分とカオリナイトに銃口を向けている少女の姿に。
閉じていても気休め程度でしかない窓は、開けっ放しにしていた為、身を守る防壁にはならないだろう。
それ以前に彼は、咄嗟の行動に移っていた。目の前にいる女性を守る為に。
直後、とんッ、と海野に身体を突き飛ばされたカオリナイトが何か言葉を発する間もなく、海野の胸に黒い光線が命中した。

ズギュゥゥゥ――!
「です…から……こうし…て、うご……く……」

にっこり微笑んだ海野の胸から、赤い色をした宝石のような心の結晶が飛び出した。

「海野ッッ…!」

カオリナイトが崩れ落ちる彼の身体を反射的に動いて抱き留めた瞬間、突如部屋に現れた少女に彼の心の結晶が奪い取られる。
彼女は海野の身体を守るように抱き締めながら、彼のピュアな心を奪った者に目を向け、睨み付けた。

「シプリンッッ!!」
「おっと、動かない方が宜しいのではございませんか……カオリナイト様?」

シプリンは奪い取った海野の結晶をちらつかせながら、カオリナイトの動きを制する。
まともに闘っては勝てないのが分かっているから、親しげに話をしていたターゲットの少年のピュアな心の結晶を人質に取ることにしたのだ。

「フン…、それがどうしたというの?」

そんなシプリンを相手に心の動揺を悟られないよう注意しながら、強気に返すカオリナイトだったが――

「随分余裕ですね。それでは――この結晶を壊してしまいましょうか?」

シプリンには通用しなかった。彼女は結晶に圧力を掛けていく。このままでは海野の心の結晶は壊されてしまうだろう。

「や、やめなさいッッ…!」

そう考えたカオリナイトは思わず叫んでいた。それが自分にとって不利になると分かっていながら。
それでも海野の結晶を壊されるのは耐えられない。一度ならず二度までも自分の為に命を懸けてくれたのだから……。
心に温かい何かを植え付けられてしまったのだから……。



「シプリン、お前の目的はタリスマンでしょう…?」
「ええ、勿論です」

手に掛ける圧力を弱めるシプリン。その手の中で輝く海野の結晶には何の変化も見られない。
つまり、それはタリスマンではないという事になる。

「残念ねシプリン、それはタリスマンではない」
「そのようですね……」
「さあ、その結晶をこちらへ寄越しなさい」
「いいえ、まだです……もう一人、ターゲットが居りますので」

シプリンはそれだけ言うと、捕獲銃の銃口をカオリナイトへ向けた。

「なッ、なにッ!? どういうつもりッ…!」
「どうもこうもありません。失敗続きのカオリナイト様は、ここでお役ご免ということですわ」
「こんな、こんな事が許されると思って!?」
「ええ許されます。何せこれは教授に許可を頂いた上での事ですから。カオリナイト様……最後に教授からの伝言です」

“カオリナイトくん、出ない成果は君のピュアな心で出して貰う事としよう”

「ま、全ては失敗ばかりする無能なご自分の責任と思ってください……それと、結晶は二人仲良く壊して差し上げますのでご安心を」

カオリナイトは教授に見限られた事などどうでも良かった。だが、自分の事を命を懸けて守ってくれた海野まで殺されてしまう。
彼を助けられない……それが悔しかった。彼女はせめて海野がしてくれたように、彼の身体を守るように抱き締めた。

「それではカオリナイト様――さようなら……捕獲ッ!!」

発射された黒い光線はカオリナイトの胸を撃ち抜き、彼女のピュアな心を露出させた。



「フフ、意外と強い光を放つ結晶ね、これはタリスマンの可能性が…」

シプリンは海野を抱き締めたまま倒れているカオリナイトには目もくれず、彼女の身体から抜け出た心の結晶を奪おうと手を伸ばす。
今シプリンはとても満足していた。仮にこの結晶がタリスマンであれば、自分はデスバスターズの大幹部へと出世できるかも知れない。
そうでなくても目障りなカオリナイトを蹴落とし、始末する事が出来たのは僥倖だ。
彼女は期待に胸を膨らませて、そこに浮かぶ結晶を手に取ると窓の外に出た……だが、そうそう上手くは行かなかった……。

『ワールド――ッ・シェイキングッ!!」

窓から外に出た直後、シプリン目掛けて凄まじいエネルギーを持つオレンジ色の光球が飛来した。
それに気付いた彼女は慌てて光球を除けるも、その反動で手にしていた二つのピュアな心の結晶を手放してしまう。
宙に舞った心の結晶は、攻撃したと思われる者に掠め取られ、そして近くの建物の屋根に二つの影が降り立ち、名乗りを上げた。

「新たな時代に誘われて、セーラーウラヌス華麗に活躍」
「同じく、セーラーネプチューン優雅に活躍」

シプリンから心の結晶を奪い取ったのは二人のセーラー戦士だった。

「くッ、後一歩だったというのに!」

彼女は怒りに顔を歪めつつも、状況を冷静に分析していた。
(今ここには私一人しか居ない…対してセーラー戦士は二人。それも相当な実力を持つというウラヌスとネプチューン…不味いわね……)
ダイモーンか、もしくは双子の妹でありパートナーでもあるプチロルが居れば闘えるだろうが、一人では勝ち目がないと焦るシプリン。
一方、奪い取った二つの結晶を調べていたウラヌス達は、これがタリスマンではない事が分かり、期待はずれだと肩を落としながら焦る彼女に言い放った。

「残念だったな。これはタリスマンじゃない」
「そう……、それじゃ此所に居ても仕方ないわね。今回は見逃して上げるけど、次にあったらこうはいかない」
「見逃す? ふっ、“見逃して貰う”の間違いじゃないのか?」
「く…っ、覚えていろ…!」

事実を指摘されて苦渋に顔を歪めながら消えるシプリンを追うでもなく、唯見ているだけだったウラヌスに、ネプチューンは声を掛けた。

「で、どうするのその結晶は?」
「いつものように返すさ、タリスマンじゃないからな」
「そうじゃなくて、その結晶の内一つはカオリナイトの物でしょう?」
「ああ、だけど組織に切り捨てられた以上何も出来はしないだろう?」
「貴方の判断に任せるわ。言ってることも尤もでしょうし」

ウラヌスとネプチューンは心の結晶を持って海野の部屋に入ると、ベッドの横で折り重なるように倒れている
カオリナイトと海野に、それぞれ心の結晶を戻すともう用は無いとばかりにその場を立ち去るのだった。



それから暫くして先に目を覚ましたカオリナイトは、辺りを見回しシプリンが居なくなったのを確認してから海野を起こそうと身体を揺すった。

「海野…っ、海野起きなさいっ、」
「う…、うう~ん…、」
「無事…のようね……」

唸りながら目を覚ました海野に、ホッと安堵の溜息を付くカオリナイト。
彼女はシプリンの銃による攻撃でまさか目を覚まさないのでは?と、危惧していたのだ。

「う、うう…、あ、あれ? 僕は……カオリナイトさんを庇って……撃たれたんじゃ……?」
「どうやら、誰かが私達を助けてくれたようね」
「そ、そうなんですか…?」

カオリナイトには大凡の見当は付いているが、敢えて口にはしなかった。例え自分がデスバスターズを追放されたとは言え、味方でも何でも無いからだ。
その為、助けられた事に感謝はしても協力するつもりはない。といって最早闘う理由さえも無かったが。

「そんな事より海野……貴方どうしてまた私を…、」

二度までも海野に助けられたカオリナイトは、早鐘を打つ自分の鼓動の意味を半ば理解させられていた。
シプリンの銃から身を挺して守ってくれて、彼が崩れ落ちる時に見せた微笑み……それを見た時に分かったのだ。
だが、確たる物が欲しい……それを彼に求めるのは、彼の性格からして難しいと分かっていても。
海野にせっついて答えを求めるカオリナイトに対し、彼は照れくさそうに頭をかきながら返答する。

「え、ええっと……、同じ事を繰り返すのもあれですし、上手く言えない物と思うので、さっき撃たれた時に思った事を率直に言います……」

『僕は…、海野ぐりおは、カオリナイトさんを守りたいと、カオリナイトさんが助かるなら死んでも良いと……』

そんな歯の浮くような科白を恥ずかしそうに告げた海野に、カオリナイトは心に灯る温かい物が何かを今ハッキリと理解した。
この、何も特別な力を持たない少年が言ったのは、ハッキリ言えば無駄な行為をする宣言をしたに過ぎない。
現に一度目のトラックの時は、カオリナイトの命を脅かすような物ではなかったし、
二度目のシプリンの時も、カオリナイトの身代わりとなって庇う事は出来たが、その後人質に取られ、結果的に彼女を守る事にはならなかった。
それはカオリナイトと海野の間に埋めることの出来ない力の差が有るからに他ならないのだが……。
しかし、彼はどれだけ自分が弱くとも、彼女を守る為に死ぬ事さえ厭わずその身を投げ出した。例えそれが無駄であったとしてもだ。
だからこそ、彼女の心を大きく揺らし、その心に温かな灯を付けたのだ。
(私の為に命を懸けられる男……海野ぐりお……私は……)

「何の力も持たない弱い男のくせに……生意気な」

そう言って悪態を付いたカオリナイトの頬は、雪のように白い肌を持つにも拘わらず、ほんのりと紅色に染まっている。
胸の高鳴りは最早抑えきれない程大きくなって、彼女の身体を突き動かそうとしていた。
(でも……愛おしい…)
カオリナイトは動力源となった心に宿る確かな感情――恋する心に身体を支配され、心の思うままに自分に恋という灯をともした海野に身体を寄せていく。



「そ、そんな、ぼ、僕は真剣にそう思ったんですよ、」

生意気だというカオリナイトに、そう反論した海野の身体を抱き寄せた彼女は、彼の耳元に口を近付けるともう一度言った。

「生意気なコ……この私に…………恋心を…抱かせるなんて……」
「こここっ、恋っ、恋ですかっ!?」
「そんな生意気なコには……お仕置きが必要だとは思わなくて…?」

カオリナイトは海野の耳元でそう呟くと、そのまま彼の耳をかぷっと甘く噛んだ。

「ひゃふうっ! か、かか、カオリナイトさんっ、い、いけ、いけませんですっ、」
「何がいけないというの…? それとも…私のことが嫌いだとでも言うおつもり……?」
「そ、そそっ、そんなことはありませんっ! す、すすっ、好きですっ、好きですよっ!」

カオリナイトに好きだと言われ、耳を甘く噛まれた海野は気が動転してしまった。
そして、いきなりこのような行為に及んだ彼女を窘めようとするも、逆に自分の事が嫌いなのか?と質問され、やけくそのような告白をしてしまう。
唯、海野は適当な返事をした訳ではなく、本当にカオリナイトの事が好きなのだ。
数日前に初めて目にして以来、カオリナイトの事ばかり考えて眠れない日が続き、今夜こうして再会した事で、頭の中が彼女一色に染まっていたのだ。
それは海野がカオリナイトに惚れてしまった事を示していた訳だが、彼女のような大人の、それもとびっきりの美人が
自分のようなさえない男に興味など持つはずがないと諦めていた。
この夜、彼女の方から会いに来てくれて、内心飛び上がる程嬉しかったのだが、それも件の理由から表に出さないようにしていたのである。
それをシプリンの襲撃の後、こうして好きだと言われた事でぶちまけたのだ。それに嫌いなのか?と聞かれて答えなかったらそう誤解されてしまうだろう。
だから、こういうやけくそな感じになってしまったのである。
それでいて、カオリナイトの行為を押し止めようとするのは、「男女の交際は健全でなければいけません!」という、彼の考える交際像というのがあるからだ。
尤も、そんな物はカオリナイトには関係ない。彼女は自分の思うようにするだけだ。心の赴くままに……。

「尚更生意気だわ……貴方如きが私を好きになるなんて」
「そ、そんなっ、カオリナイトさん仰っている事がめちゃくちゃですよっ!?」

無論、口ではそう言いつつも彼女は嬉しいと感じている。
自分が恋心を抱いてしまったと自覚した相手もまた、自分に向けて恋心を抱いているのだから。

「それに、私が好きだというのなら、最早いけないなどとは言えなくてよ?」

カオリナイトは海野を抱き締めたまま、少し顔を離してぐるぐる眼鏡の奥にある彼の瞳を見つめる。
(綺麗な瞳ね……)
とても純粋で濁りのないその瞳は、デスバスターズという組織に居た彼女には縁のない物……その筈だった。
それが今では自分の目の前にある。それも、その瞳に映っているのは自分……。
カオリナイトはその瞳に映る自身の顔を見ながら、濁りのない瞳に自分の姿を映してくれた海野に顔を近付けていく。



「か、カオリナイトさん…っ、お、おち、落ち着いてください…っ、」

この期に及んでまだそんな事をほざくうるさい口を黙らせようと、カオリナイトは気持ちだけ頭を傾けながら彼の唇に自らの唇を近付けていき――

「んっ…」

塞いだ。

「んっ…、ふむっ…、」

海野の唇を自らの唇で塞いだカオリナイトは、そのまま彼の唇を甘く噛むように啄む。
その唇に自分の唇の味を覚えさせる為に、はむっ、はむっ、と柔らかい食べ物でも食するかのような感じで……。
そうして海野の唇を啄みながら万が一にも彼を逃がさないように、彼の背中に回した腕に力を入れて強く抱き寄せた。

「んふぅっ、あむっ、」

しかし、海野を逃がしたりする心配は彼女の取り越し苦労でしかない。何せ、海野はカオリナイトに口づけられた瞬間から身体が石のように硬直して動くにも動けないからだ。
女性にキスをされるなど皆無に等しい所か全くない彼にとって、カオリナイトのような美女からの口付けは刺激が強すぎるのだ。
それは薄々感じていたカオリナイトだったが、彼女は遠慮する所か、益々行為をエスカレートさせていく。
彼女は僅かに開いている海野の唇を、自らの舌で強引にこじ開けると、舌を彼の口内へと進入させた。

「ふむう―っ…!」

舌を入れられた事に口の中で驚きの声を上げる海野だったが、彼女はそれさえも許す気はなく、自分の舌を彼の舌に絡ませてねじ伏せ、
愛撫するかのように舌の表面を舐めていく。よく味わいなさいと……これが私の味なのだと。

「んっ、ちゅむっ、ちゅるっ、」

舌を奥の方まで伸ばして奥から順に歯茎を舐め、次いで歯その物に舌を這わせて縦横無尽に口内を貪った彼女は、彼の舌の裏側に触れ、そこを撫でるように舐めてから再び舌に絡み付かせた。
ここまで執拗に舌を触れさせたのは、ある種の独占欲が働いている。
(貴方の唇は全て私のもの……)
彼の口の中に、自分が触れていない場所が僅かでも有るのは許さない。

「んちゅっ、れるっ、」

そうやって時間を掛けて海野の唇を貪り続けたカオリナイトは、漸くその唇を解放した。
未だ満足などしていない、どれだけ唇を貪っても足りないと思う彼女だったが、先へ進むために我慢せざるを得ない。

「んっ……」

ゆっくり離れる唇の間には粘り気を持つ混ざり合った唾液がつーっと糸を引いて伸び、今行われた口付けの激しさ深さを物語っている。
伸びた唾液の糸は、カオリナイトがそれほど顔を離していないのもあって、未だ二人の唇を吊り橋のように繋いでいた。




「きっ、きっ、きっ、きすっ、キスっ…キス…っ、」

海野はその瞳に美しく妖艶なカオリナイトの笑みを映しながら、壊れたスピーカーのような言葉を発した。
そこから読み取れるのは、これが彼にとって初めての口付けであるという事だ。
彼女からの一方的なキスを受けた彼は、(キスというのはこのように激しい物だったのですか)などと、
映画で見た初々しいキスシーンとの違いに、気持ち良くはあったが驚かされ悩まされた。

「フフ…初めてのキスのお味は如何?」

顔を耳まで真っ赤に染めている海野に対して蠱惑的な笑みを浮かべたカオリナイトは、まだ始まったばかりだと再び顔を近付け、彼のリンゴのように赤くなった頬に口付けた。
彼女は海野が混乱の真っ直中にあるのを理解して尚、彼を愛する手を緩めるつもりはない。

「ちゅっ…」
「ひあっ!」
「まだまだ…これからよ……」

そう言いながら彼女は海野の背中に回していた右手を離して前に持ってくると、彼のパジャマの第一ボタンに手を掛けてプチンっと外した。

「な、なっ、何をするんですかっ?!」
「お黙りなさい」

優しい声で彼を黙らせたカオリナイトは、続いて第二ボタン第三ボタンと次々ボタンを外していき、
全てのボタンを外すとパジャマを左右に広げて、彼の上半身をさらけ出させる。袖はまだ抜いていないので肩までが脱がされている状態だ。

「フフ…」

間違っても逞しいなどとは言えない海野の上半身を見たカオリナイトは、右手を再び彼の背中に回すとその首筋に口付ける。

「ひはっ…!」

一方で首筋にキスをされた海野は何とも情けない声を上げて身体を震わせた。
首筋に受ける唇の感触と、カオリナイトの肩から流れ落ちた彼女の紅色の長い髪に頬や胸を撫でられて、
背筋をゾクゾクとした言い知れない感覚が走り抜けたのだ。
そんな未知の感覚を味わっている彼を余所に、カオリナイトは彼の首筋に落とした唇を内側にずらしていき、
首の真下辺りまで来ると、舌を出してぴちゃぴちゃと彼の肌を舐め始めた。

「ひゃああっ…、か、カオリナイトさ…っ、」

そうやって海野の肌に口を付けたまま、彼女は下方に向かってゆっくりと舌を這わせていく。
首の舌から胸へと下ろし、彼の乳首に舌を触れさせると、そこを重点的に舐める。

「ひっ、ふああっ、」

自分に身体を舐められて感じている彼の声を聞きながら、カオリナイトは次のステップへ移るために、名残惜しくも彼の肌から口を離した。




「海野…」
「は、はひっ!」
「どう? 気持ちいいかしら…?」
「そ、それは、何と、言いましょうかっ…、一言で表現できる範囲を、逸脱しておりましてですね…っ、」
「そう…、それじゃあ……もっと気持ち良くして差し上げあげましょうか?」
「い、いい、いえっ、これ以上はいけませんっ、」

カオリナイトの言葉にあくまでも否定的になる海野。
普通に考えれば彼女のような美しい女性にここまでされて、否定するような男など居ないだろう。
それこそ男色かと疑いをもたれてもおかしくない。実際の所、彼もこういう事をされて悦びを感じては居た。
唯、彼の場合、余りに純情すぎるのだ。
恋人とは……休日に遊園地でデートしたり、互いのお弁当の交換をしたり、カフェで一つのパフェを二人で食べたり、
一緒に星空を見ながら良い雰囲気になった時に触れ合わせるだけのキスをしたりと、そういうものだと考えていたのである。
但し、それは相手が彼と同年代の女子ならではというのが前提となる。
勿論、そのずっと先には、こういう事をするようにもなるのだというのは知っているが、まさか恋人になって直ぐこうなるとは考えてもなかったのだ。

「や、や、やはりですね、ぼ、僕は、清く正しい交際で有るべきだと、思うわけでしてっ、」
「フフフ…、これも清く正しい男女の交際でしてよ…?」
「い、いいえ、ち、違いますよっ、清く正しいというのはですね…っ、」

海野はカオリナイトに自分の考える、清く正しい交際というのを説明した。
尤も、それはカオリナイトという大人の女性を相手に通用するものではないが……。

「お弁当の交換? パフェを二人で食べる? 何をバカなことを言っているの…。 まあ…遊園地のデートはしてあげてもよくてよ?」
「そ、それはないですよ~っ、」
「ええい、お黙りなさい!」

最早聞く耳持たないとばかりに海野のパジャマのズボンを、下着ごと掴んだカオリナイトは、思い切り引き摺り下ろした。

「ひゃああっ…!」

下半身を丸出しにされた海野は反射的に両手で股間を隠して慌てふためくも、カオリナイトがそれを許す筈がなく、
彼女は彼の手を掴んで、強引に股間から引き離す。

「あらあら、海野の言う清く正しい交際とは、ココをこのように膨らませながら行うものかしらねぇ?」

彼女に指摘された通り、丸出しにされた海野の股間の性器は、上に向かって真っ直ぐに屹立していた。

「い、い、いや、いやいやっ、これは違うんですっ!」
「何がどう違うのか……この私に具体的に教えてくれないかしら?」

彼女はそう言って、ついでとばかりに腕を通しているだけのパジャマの上の方も剥ぎ取り、彼を生まれたままの姿にさせてしまった。




「は、恥ずかしいですっ、僕もうお婿に行けませんよ~っ、」
「安心なさい、私がもらってあげるわ」
「も、も、も、もらっていただけるのはっ、あ、ありがたいわけでございますがっ、っっ痛ッッ!」

話している最中に感じた痛みに悲鳴を上げる海野。
それは、彼の右腕に巻かれている包帯に気付いたカオリナイトが触った事による痛みだ。

「これは…?」
「えッ?! あ、あのっ、これですか? これはあの事故のときの…、」
「……痛むの?」
「え、ええまあ……少しですが…」

カオリナイトは、彼女を守ってくれたときに負った傷口に巻かれている包帯を、無言で解き始めた。

「わわっ、何するんですか!」

抗議する海野を無視して包帯とガーゼを取った彼女は、痛々しい傷口にそっと触れる。
(私を守って負ったケガ…)
指で傷口をなぞった彼女は口を近付けると、未だ生々しい傷口をぺろりと舐めた。

「ひう…!」

まるで傷口を塞ごうとするかのようにぺろぺろと舐め続けるカオリナイト。
こんな事をしても意味がないのは分かっている。舐めたくらいでケガが治るのなら、この世に医者も病院も必要ないだろう。
しかし彼女はこうせずには居られなかった……これは非力な彼が必死になって守ってくれたことの証なのだから。

「痛い?」
「す、少し滲みます、」
「海野……貴方はこの手で私を守ってくれたのね……」

カオリナイトは傷口を舐めた後、彼の手を取り自分の頬に当て、愛おしげに頬ずりをした。

「替えのガーゼと包帯は?」
「そ、そこの引き出しです」

彼女はベッドの横にある鏡台の引き出しから新しいガーゼと包帯を取ると、自分が舐めていた傷口にガーゼを当て、包帯を巻いていく。

「これでいいわ」
「な、なんだか…痛みが吹っ飛んだような気がします」
「そう?」
「か、カオリナイトさんに舐めてもらっていた方が……治りが早いのかもしれません、」
「フフ、だったらまた舐めてあげるわ、ちゅっ」

海野の唇に軽く口づけた彼女は彼の頬にも頬ずりをする。

「海野……」
「んっ、く、くすぐったいですっ、」

カオリナイトの白磁のような頬を擦り寄せられている海野は、くすぐったくも心地良い感触と、彼女の髪の香りに、心の中がポカポカと暖かくなっていくのを感じた。
こう何と言おうか、春の日差しの中にいるような、そんな感じだ。
それは彼女も同じだ。彼の匂いと、丸い頬の感触が実に心地良く、いつまでもこうしていたい気持ちにさせられる。
(でも、先に進まなければいけないわね…)

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